忍耐編

社長インタビュー
今回は弊社社長 森 賢一 の不動産業界での軌跡を伺いました。
第三部は忍耐編を書いていきます。

インタビュアー:独立後に始めた仕事は何だったのですか?

森社長:前にも言いましたが会社を辞めても付き合いが変わらなかったのは4割程。だからと言って仕事が舞い込んでくるかと言われればそうでもない。だから毎日朝から晩まで出っぱなしで営業活動をして売買仲介の仕事を貰っていました。そんなこんなで最初の年の売上は1400万円程となりました。

インタビュアー:1年で1400万円ですか。それでも結構な額に聞こえますが、借金返済、社員の給料支払いなどで結局少なくなってしまいますね。社員の給料はどのように決めていたんですか?

森社長:欲しい額の給料の3倍を稼ぐことを目標にしていました。例えば50万円欲しいとなると、その3倍の150万円をひと月に稼がなくてはなりませんでした。当時の私の状況だとその額から養育費、生活費、そしてバブルの借金の返済などでほとんど無くなっていました。売買仲介がメインだったため売上がある月と無い月が偏ったため安定した収入とはかけ離れていました。

インタビュアー:大手不動産会社の社員時代と比べると大きく収入が減って不安定な生活になったと思うのですが、やはり大変でしたか?

森社長:大変に決まっています。(笑)
ただ生き方というのは決まっていて思い詰める程つらかったわけではないですね。人生悪い時に良いフリをして、良い時に悪いフリをすることが大事だと思います。武士は食わねど高楊枝ということわざに近いです。貧乏だからと貧乏な恰好をしたら身も心も貧乏になると信じています。逆に良い時に悪いフリをするのは有頂天にならずに自制することができます。

インタビュアー:調子が良い時にどんどん調子に乗って、悪い時にさらに沈み込むのが普通だと思います。調子が悪い時に調子が良い様に演じることができればどんな困難も乗り越えられそうです!

インタビュアー:ところで最初の事務所だった第2キャプテンハイツから現在の事務所に移ったのはいつ頃だったのですか?

森社長:案件をこなしている中である1人のお客様から、これからも真面目に仕事をやるつもりがあるか?と問われてそこから今現在の札幌オーナーズの事務所が入っているエコビル白石(当時は第5坂本ビル)に移動することになりました。いくら自分の所有している物件とはいえ、10帖ワンルームほどしかない第二キャプテンハイツの部屋で仕事をし続けるわけにもいかないし人員も増えていくと予測した私はその提案を受け入れました。

インタビュアー:それは何年目の出来事だったのでしょうか?

森社長:設立してから2年目でしたね。テナント料も5、6万でいいよと言ってくれて白石の中心に位置する場所に構えられるということで即断即決で移ることにしました。現在の事務所に移動してから1年程が経ち業務の主軸を売買仲介から不動産管理に移行することを余儀なくされました。

6月号へ続く