今回は弊社社長 森 賢一 の不動産業界での軌跡を伺いました。 第一部は札幌最大手不動産会社時代~独立までを書いていきます。
インタビュアー:不動産業界を選んだのは何か理由はあるのですか?
森社長:特に理由はありませんでした。ある日の朝に開いた新聞の1ページに載っていた不動産会社の求人広告を見てそれに応募しました。本当に”たまたま”でした。もしそこの1ページに違う業界の求人広告が載っていたら、不動産業界で働くことも無かったでしょう。
インタビュアー:すごいですね(笑)。現在の就職活動と比べると恐ろしい理由で就職したんですね。志望動機やら学生時代に頑張ったことなどそういった動機を求められる今とは全く異なりますね。
森社長:そうなんです。そこで働くことを強く望んでいたわけではなかったので、3年程勤めてほどほどで辞める予定でした。ところがどっこい、いざ始めてみると自分に適性があったのか運があったのかわかりませんが営業成績もなかなか良くて続けることになりました。
森社長:それと自慢じゃないですが、今は当たり前の光景となっている不動産会社の前にノボリを立てるアイデア。あれは私が考案したんです。(1984年)
インタビュアー:不動産会社といえばノボリがあるイメージですが、まさか社長が発案者だったんですね。そういった革新的な行動をしてきて営業トップを取っていたんですね。不動産業界はお給料が良いイメージがありますから、トップを取っていたならかなり稼がれたんじゃないでしょうか?
森社長:そうですね。歩合制を取っていた会社が多く最高で年収2000~2400万円ほど頂いたこともあります。とはいえ時代柄もバブルイケイケということも忘れてはならないですね。私もご多分に漏れず賃貸住宅と自宅を購入していました。そして皆さんもご存じの通りバブルは弾けました。
私が購入した直後に「土地転がし」と呼ばれるスキームを防ぐために不動産の短期譲渡をした際の税率が一気に跳ね上がりました。この税制改正が足かせとなって不動産を短期で売却できないままバブルの終焉を迎えて、気づけば負債は1億円程になっていました。
インタビュアー:1億円の借金ですか!?現在のサラリーマンの生涯賃金が約2億円前後と言われていますから、30代前半でその半分である1億円の借金を負ったというのは絶望ですね。
森社長: 確かにその頃が一番切羽詰まっていたかもしれません。(苦笑)
人間は追いつめられると最悪の選択をしてしまうということを実感しました。ですが、そこで「生きる」という「当たり前だけど最も重要なこと」の大切さに気づけたと思います。「死」というのは一見すると全ての問題、悩みから解放される最善の選択に思えますが、残された人達にとってはどうでしょうか?自分を信じてくれた、愛してくれた人達全てを裏切る行為です。
インタビュアー:当たり前すぎて日々一生懸命生きているということを忘れていました。禍福は糾える縄の如しの通りでドン底のバブル崩壊を経験して創立30周年を多くの社員と迎えたんですね。
森社長:そして30周年の記事でもお話した「負けない事」の考え方もこの逆境の状況で生まれました。他の人と同じことをしていても常に後発になり成長は難しくなります。その当時で言うと、会社に勤め続けることが他の人とは同じことをしていることになります。そう考えた私が辿り着いた決断が独立という他の人とは違う選択でした。もちろんそんな大層な考えの前に借金返済という問題解決のために下した決断です。バブル崩壊直後で日本社会全体に厭世感に漂っている最中に一か八かの覚悟で独立しました。独立した当時を忘れた日はありません。
1994年3月3日に自分が所有していた第2キャプテンハイツという物件の一室で札幌オーナーズ株式会社を立ち上げました。(10帖ワンルーム)